【脇差】 津田越前守助廣【青山子爵家伝来】 寛文八年二月日
種別 | 脇差 |
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国 | 摂津 |
時代 | 江戸時代初期 |
法量 | 1尺7寸1分 |
附 | 大坂新刀図譜所載 |
銘文 | 津田越前守助廣 【青山子爵家伝来】 寛文八年二月日 |
説明 | 越前守助廣は摂州打出村で寛永十四年に生まれ、大阪に出て初代助廣の門人となり、後、養子に迎えられ初代の代作を盛んに行ったと言われている。そして明暦三年、二一才の若さで越前守を受領し、井上真改とともに大阪新刀を代表する名工である。特に華美を誇る涛瀾刃の創始者として名を挙げ、そのよく調和のとれた姿格好のよさに加えて地刃の冴えとその格調の高さは新刀屈指の名工たる名にふさわしい作風である。 寛文七年四月には、【大阪城代青山因幡守宗俊】に十人扶持の待遇で抱えられ、寛文七年頃を境として作品の造り込みや刃取りに変化をみせるので、かなりの心機一転があったことは事実である。助廣が延宝二年八月からいわゆる丸津田銘に書体を変えたことについては、青山宗俊が家臣の田塩保良に近衛流の書体で銘字を書かせ、それを助廣に与えたと言われている。この脇差は前述の青山家伝来の一振りである。【新刀最上作】 東京国立博物館旧蔵 |
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